株式会社ユーディージャパン

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UD楽−ユニバーサルデザインがく 見本用テキストデータ

視覚障がい者のためのテキストデータです。一部ですがご紹介いたします。本書をご購入していただいた方でご希望の方に、本書すべてのテキストデータのCDを添付しております。ご注文時にCD希望とお知らせください。

以下、見本用一部抜粋テキストデータです。

5 段差の解消【テキスト140ページ】

 日本建築にある段差。これがバリアフリー住宅への障害(バリア)になっているとよくいわれています。玄関から家に入る際にある、上がり框や縁側の段差、廊下から座敷に入るわずかな敷居の段差。これらをすべてなくし、玄関から座敷までをフラットにしてあり、スロープを設置して車椅子でのアクセスを可能にしたりする。そしてこれが「究極のバリアフリー住宅だ」との論も聞きます。本当にそんな家ができたとしたら、あなたは住みたいですか? 快適ですか? 私は、即刻「ノー」と答えます。
日本文化の良さに、私は「間」というものの重要性を感じています。内と外の間にある「縁側」、玄関から茶室に通じる「露地」、廊下を歩く人の気配を感じる「障子」など。別の空間との間にさりげなく佇むこれらの存在こそが、日本文化の重要な要素だと思いますし、それを生かした暮らしが一番安堵感を覚えるのではないでしょうか。

敷居 写真の説明
日本建築の廊下(多くは板張り)と居室(多くは畳敷き)の境目に、障子戸や襖を入れて、すべらせるための敷居がある。10cmほどの幅の木に3cmくらいの浅い溝を2本ほり、そこに障子戸や襖を入れる。廊下とは1〜3cmくらいの段差がある。
写真の説明終わり
キャプション
敷居
キャプション終わり

 単純に、バリアフリーを考えれば、玄関から茶室まではフラットにして、にじり口から入るのではなく、車椅子のままで茶席に着けるように、段差にはスロープをつくり、茶席も畳を一部外し、同じ高さにして車椅子に乗ったままでお手前を受けられるように配慮しておく、なんてことになるのではないでしょうか。まさに、ユニバーサル茶室の誕生! 誰かが造ってしまいそうです。茶室を「機能的に」とだけ考えれば、あり得ない空間ではありません。でも、そうしないと茶の湯は楽しめないでしょうか?

 茶の湯には、おいしいお茶を飲むこと以上のものがあります。茶「道」ともいわれるように、考え方を極めるものであり、ときに宗教であり、道具や所作の芸術でもあります。そのことを如実に表現しているのが、露地やにじり口のしつらえなのではないでしょうか。気持ちを静め、茶室に入る覚悟を整える露地の意味、そして空間を切り替えるにじり口の意味を、バリアフリー茶室にキチンとしつらえて、初めてユニバーサル茶室が誕生するのではないかと思うのです。

露地写真の説明
日本建築の玄関から茶室に至る庭には、敷石が置かれた露地や、手や口を清めるつくばいが置かれている。写真では平たい丸い形状の敷石が並べられた露地を紹介している。
写真の説明終わり
キャプション
露地
茶室に通じる「露地」。これは、玄関で亭主が客を迎え、茶室に行くまでの間、客人に気持ちを静め、心の準備をしてもらうための空間とその時間を与えるためにあります。玄関からいきなり応接室に通されるのではなく、さりげなく気持ちの変更をしてもらう空間。それが、露地の持つ意味だというのです。
茶室の玄関にあたるのは、「にじり口」という高さと幅がわずか60センチの壁の穴。武士は刀を差したままでは入りにくく、刀を主人に預けます。頭を下げ、膝でにじるように入る姿は、誰もが本来平等であること、そして小さな入り口で穢れを中に入れない、など、外と内とは別の間をつくり出す効果を演出しています。この間こそが、我々の心を満たしてくれる重要な要素なのではないでしょうか。
キャプション終わり

 私たちは、ユニバーサルデザインを、機能だけで解決しようとしがちです。そのあまり、大事なメンタルな要素を切り捨ててしまうことがあってはなりません。真に豊かな暮らしを送るには、捨ててはならない重要な要素があるのです。それこそが日本人における、日本文化の価値ではないでしょうか。
たとえば、敷居。この廊下と座敷の間に生まれる段差には、違った意味が隠されています。それは、違う空間に踏み入れるときの注意力を養うという教育的な視点です。
ある研究者のレポートによれば、まったく段差のない家で育った子どもと、日本的家屋で育った子どもの歩行時や走行時の転倒頻度を調べた結果、明らかに日本的家屋で育った子どもの転倒率が低かったというのです。その要因が、廊下と座敷の段差、敷居にあると。
日本的家屋で育った子どもは、自然と歩行時に足を上げる歩行法が身に付いている。だから多少の段差や障害物があってもつまずいたりすることなく、歩いたり、走ったりできるのだそうです。言われてみると、すごい説得力を感じ、納得ですよね?

 バリアフリー住宅は、当然のように敷居をフラットにしてしまうでしょう。車椅子で過ごすおじいちゃんのために、家の中は完全にフラット。その車椅子を押す孫は、外で何でもない小さな段差につまずいて転びケガをするなんて、笑えない光景が目に浮かびます。廊下と座敷の段差が、人間の感覚を養うためにつけられたとは思えませんが、もし、フラットにすることが感覚を養う妨げになるのなら、この小さな段差を、別の方法で乗り越える手立てを考える必要があります。やたらと転んで、あざだらけになる子どもに育つのなら、私は車椅子になってもこの2センチくらいの段差を乗り越えられる車椅子を考えたいものです。

 日本文化は、私たちが日常的に気付かないところで、多くの示唆を与え、多くのことを育んでくれています。豊かな心で暮らす知恵も含まれています。その心を大切にしながらの不便さ解消でなければ、真のユニバーサルデザインとはいえないのではないでしょうか。