株式会社ユーディージャパン

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「いつもの○○」かえませんか 見本用テキストデータ

視覚障がい者のためのテキストデータです。一部ですがご紹介いたします。本書をご購入していただいた方でご希望の方に、本書すべてのテキストデータのCDを添付しております。ご注文時にCD希望とお知らせください。

以下、見本用一部抜粋テキストデータです。

第1章 自らを輝かせるリブの法則【1ページ】
一 リブの法則の三要素【2ページ】
チェックリスト
【まるいち】あなたは、リラックスできる方法を持っていますか? それは何ですか?
【まるに】あなたは、生きる意義や生きる支えを持っていますか? それは何ですか?
【まるさん】あなたのビジョンは何ですか? 何歳まで生き、何歳のときに何をしますか?
チェックリスト終わり

 右の質問に、あなたはどう答えるだろうか?
   この三つは、【まるいち】「リラックス=Relax」、【まるに】「アイデンティティ=Identity」、そして、【まるさん】「ビジョン=Vision」と呼ばれるものだ。この頭文字をとって、リブの法則とした。人間が輝き、キトキトになるための根っこに潜む大原則である。
 さて、あなたはどの回答に一番迷っただろうか? あるいは、全く答えられない質問もあったかもしれない。けれど、がっかりする必要はない。ちょっとしたことで、すぐにこの答えは見つけられる。

  欄外:企業に例えれば、組織の柔軟性だろう。部門間や人間関係の風通しのよさ、チームワークの強さなどにあたる。
欄外終わり

 Rは「リラックス=Relax」することだ。リラックスするのが上手な人ほど、本当の意味でキトキトしている。そういう人は、ストレスに耐えられる力も強い。
 リラックスと一言でいうが、リラックスするべきものを大きく分けると三つある。「頭」と「心」と「体」である。第2章から、少しずつ触れていくが、ここで自分でリラックスすることが苦手だと思うものを、少し考えておいてほしい。

イラスト
「心」「体」「頭」の3つの丸が描かれ、3つが重なり合った部分を「R(リラックス)」とし、「この3つのバランスが大事!」と示されている。
イラスト終わり

●アイデンティティ=Identity【4ページ】

欄外:アイデンティティ
同一性、自我同一性と訳される。「自分は何者か」、「自分のめざす道は何か」など、自己を社会の中に位置付ける問いかけに対して、肯定的かつ確信的に回答できること。
欄外終わり

 Iは「アイデンティティ=Identity」を意識することだ。アイデンティティとは、よく「存在証明」とか「自分自身の身元証明」とも言われる。平たくいえば、人から認められたときや、心の支えとしている言葉(信条)を持って、「だから自分が存在しているんだ」という思いである。

欄外:企業で言えば戦略にあたる。V(ゴール)へ向かってどうやってたどり着くかという作戦にあたる。
欄外終わり

 「その日、その日が楽しければいい」という人も多いかもしれない。「計画どおりに生きるのは面白くない」と考える人もいるだろう。若い時や短い期間のことであれば、それもまたよいのかもしれない。
 けれど、人生一〇〇年時代。ずっと風来坊では、生きがいややりがいを見いだすことは難しいのではないだろうか。もし大きな夢を持っていたり、ベクトルが定まっていれば、日々の小さなことに振り回されることが少なくなるはずだ。
 それを、アイデンティティと言う。

●ビジョン=Vision【5ページ】

欄外:ビジョン
心に描く像。未来像。展望。見通し。
欄外終わり

 Vは「ビジョン=Vision」のことだ。人として、どういう人生を送りたいのかということだ。あなたは何歳ぐらいまで生きたいと思っているだろうか? そして、それまで、何をしたい、何にチャレンジしようと思っているだろうか?
 こうしたことが、ビジョンにつながっている。人生のゴールや大きな目標、追い付きたい、追い越したいと思う人、こうしたことも、ビジョンといえるだろう。

欄外:企業で言えば企業理念に相当するものである。組織体には必ずあり、壁などに掲示してある。組織体として、どこへ向かって、誰に向いて歩むのかを表明しているものである。
欄外終わり

 自分は九十一歳まで生きたいと考えている。母は三十九歳、父は五十二歳で亡くなった。二人分生きたいと思っているので、二人の年齢を足した数、九十一歳と決めた。そしてその間に、健康心理学という学問を根っことして、人の心の中に何かしらの風を起こすようなことで社会貢献ができればと願って生きている。

 企業は、理念と戦略と、それを機能させる柔軟な組織があれば、健全に運営される。特に理念(V)と戦略(I)が明確であればあるほど、組織=そこで働く人々は楽(R)になる。
 人間も、このリブの三つの組み合わせがバランスよくなると、健全に、楽に生きることができるのだ。
 リブのバランスこそが、「キトキト」の根源ではないだろうか。


イラスト:「I=アイデンティティ・Identity(生き方・信条・人生の設計書)」「R=リラックス・Relax(頭・心・体のバランス)」「V=ビジョン・Vision(人生のゴール・人生の目標」の関係図
縦軸に「I」、横軸に「R」、その2つの間を折れ線グラフのように矢印で通り抜けて「V」が描かれています。
イラスト終わり

●転職、障がいを持つ長男、ストレス……【7ページ】

 自分がこのリブの法則に至るまでの経過を、少し紹介しておきたい。
 最初の就職先は、江崎グリコという会社であった。創業者の理念と、子どもたちに夢を与える企業という点が気に入った。特に江崎利一氏のユニークなものの考え方や、先取気鋭の独創性に関心を持った。
 そして、グリコ森永事件が起こった。

欄外:グリコ森永事件
一九八四年(昭和五九年)、江崎グリコの江崎勝久社長(当時)が自宅から誘拐され、身代金を請求されたが、自力で抜け出し、警察に保護された。
その後、犯人グループが「かい人二十一面相」名で「毒物入りのグリコ製品を置いた」と脅迫状を新聞社に送りつけてきた。予告どおり、その後にコンビニエンスストアの菓子から青酸ソーダが検出された。
その後も他社食品メーカーに次々と同様の脅迫状が送りつけられ現金を要求。有力な手がかりを得られないまま時効となった。
欄外終わり

事件が起こってからのあまりの環境変化に、多くのことを学んだ。現実の日々は、新聞やテレビの報道でみる事件とこうも違うのかと実感した。
 事件当日は、席を立つ暇がないほどの問い合わせ電話が殺到した。ノルマに追われて生活していた営業担当者が、突然返品整理に追い込まれた。取引先の対応もまちまちだった。売り上げも当然落ちた。

 グリコを辞めたいと感じたのは、グリコ森永事件をこうして会社側の人間として体感したことが大きい。もっと違う生き方をしたいと感じ始めたのだ。東京へ転勤となり、異業種交流会に出会って気持ちが固まった。今まであまりにも世間知らずであったことを痛感した。世の中には、すごい会社やすごい人材がいるものだということを痛感した。もっと学ぼうという気持ちがあふれ出てきたのだ。
 すぐに人材バンクに登録をして、富山県のある経営コンサルタント会社に就職をしたのだ。当時はやりでもあったCIを扱っている会社だった。

欄外:CI(コーポレート・アイデンティティ)
その会社の特徴や理念を、簡潔に表したもの。お客さまがすぐにその会社を識別できるような、色やロゴに代表されるその企業特有のもの。
欄外終わり

そこで、ただ看板を挿げ替えるだけのCIではなく、会社の組織風土や意識改革を推進する手法を学んだ。創造的問題解決手法(Creative Problem Solving)がメインの考え方だった。ただ当時はまだ、自分のやりたい先の詳細は見えていない。とにかく資格を取ってすぐ辞めようという気持ちだった。当然すぐに行き詰まりを感じ、孤立していく。うまくいかなくなった企業の再生と就職支援の営業を兼務するようになり、ますます混乱していった。このころは、うつ病寸前だったかもしれない。
 そんなとき、子どもができた。この子がなんと重度の障がい児だった。仕事の不調に加え、心身の負担となる育児は、とてもつらかった。会社員としての生活に支障が出始め、他の社員との軋轢も増し、いわばクビ同然での転職を余儀なくされた。今思えば、社長はじめ、会社の皆さんの温情により、辞めさせていただいたと感謝している。
 そのとき、ストレスをマネジメントする手法と出会い、次第に心理学に近づき始めた。そして、長いことかかったが、ようやく自分自身のキャリアアンカーと出合った気がした。

欄外:キャリアアンカー
個人が選択を迫られたときに、その人が放棄したがらない欲求、価値観、能力(才能)などのことで、その個人の自己像の中心をなすもの。
欄外終わり

ストレス対処を行うストレスマネジメント士として、自分自身も含め世の中に貢献できればという強い意気込みで独立した。

注記:ストレスマネジメントは登録商標です。
注記終わり

欄外:ストレスマネジメント士
株式会社東京ストレスマネジメント主宰のストレスマネジメント指導者協会による民間認定資格。
現在はこの協会を退会し、ストレスマネジメント士も返上している。
欄外終わり

 しかし、世間は甘くはなかった。三年、四年と売り上げがほとんどない状況が続いた。自分自身どうしていいかわからずストレスをどんどんためた。ただ学びだけは継続していた。坂本龍馬にあこがれて坂龍塾という勉強会を主催し、地道に続けた。
 この間の数年のつらい思いが今生きてきている。多くの人に励まされながら、今度は自分のやりたいことがより明確になり始めた。そしてようやく自分のアイデンティティにたどり着いた。カウンセリングや心理学に本格的に出合うのも、独立後数年を経てからだった。ずいぶん回り道をした。
 自分自身のビジョンに対しても、根本的に見直す機会を得た。いろいろと振り返っていると、まんざら回り道をしていないことに気づいた。かつての憧れの、坂本龍馬は自分の行動形態の根っこである。せわしなく歩き回る。いろいろな人との出会いを大切にする。何にでも関心を持つ。人を喜ばせるのがとても好きで、龍馬自身もその時々を楽しんだという。そんな生き方に、自分を重ね合わせ始めた。
   思えば二〇代前半に、坂龍飛騰という言葉に出会い、四〇歳になったら独立を考えていた。

欄外:坂龍飛騰
文久元年(一八六一年)十月に、日根野弁治より皆伝目録である『小栗流和兵法三箇條』を授かった坂本龍馬は、「剣術詮議」の名目で四国、中国、九州への情勢探索に向かった。この日を土佐勤王党の同志樋口真吾が、日記に「坂龍飛騰」と記した。
欄外終わり

いまその夢は実現している。同じ場所で働くことを嫌い、産業、教育、医療の三つの領域にも首を突っ込んでいる。人間というものは、自覚していなくても、心の奥底で感じていることは、いずれ実現できるのだと確信している。